2011年12月24日 Merry Christmas Dream for KESENNUMA
@気仙沼市民会館(宮城)

・演奏曲目

long and deep X'mas
空色のアルバム
旅立ちの日に・・・
上を向いて歩こう

・レポートその1(ひいらぎさん)

真っ白な降り積もる雪の中、
私たちは、気仙沼から、それぞれの帰路に着いた。
あんなに綺麗な雪を見たのは、初めてだった。





私は、この週末、
スケジュールが発表された段階から、
金山でも、中山でも、千葉そごうでもなく、
おそらく気仙沼だけを、思い描いていた。
どうしても、見ておきたかった。
それは、私自身に、必要な時間として。

震災直後の西日本チャリティーライブで目の当たりにした、
川嶋さんの本気を、感じとっておきたかった。
九州チャリティーライブで、
釜石で、
陸前高田で、
川嶋さんの想いをなぞるように、
それぞれの光景を、
心に刻んできた。

それらは、
必ずしも楽しいばかりの時間ではなかったかもしれない。
でも、
川嶋さんの本当の想いには、
触れられるような気がした。
私は、
もっと、
ちゃんと、
知っておきたかったんだと思う。


昨日、中山で、川嶋さんは言っていた。
「明日、今年最後のライブをやります。」
「気仙沼出身の大学生の女の子がいて、」
「被災した地元にツリーを贈りたい、と準備してます。」
「その女の子の願いに応えて、明日、歌いに行きます。」

”今、自分に出来る事を、精一杯やっていきたい”
という川嶋さんが、
その想いのまま、歌いにゆく。

私は、気仙沼へ、向かった。





気仙沼駅から、長い時間をかけて、歩いていった。
晴れ渡るやわらかな日差しの中、
とても静かな時間が続いた。
まだまだそこかしこに、
震災と津波の痕跡が、目に留まった。
ゆるやかで長い坂道の先に、市民会館があった。


気仙沼市民会館の前には、
炊き出しを待つ行列が出来ていた。
力士の方々がちゃんこを振る舞い、
並ぶ人たちも、皆、待ち遠しそうだった。
白く膨らむ湯気や、たくさんの笑顔、
そういう活気が、とてもあたたかく見えた。
そういう光景を、遠くから眺めていた。

冷たい風の中、
あたたかさをも感じさせる昼の日差しを浴びながら、
川嶋さんが、お菓子を抱えて歩いてきた。
長い列に、その一人一人に、
おそらく優しい言葉をかけながらだろう、
笑顔で、ゆっくりと、労わりながら、手渡していった。

この時の川嶋さんは、本当に輝いて見えた。
自分でも、目の錯覚かと思うくらい、
その笑顔が、まぶしいくらい、輝いていた。
伝わらないかもしれないけど、本当だった。

ずっと、心に刻んでおこうと思った。



炊き出しも一段落し、
ホール二階で、イベントの開会式が行われる。
ホール二階といっても、ただの広い部屋だ。
前方に教壇のような、わずかに高い段があるだけの。
市長や議員の方は、このイベントの発起人である
大学一年生の女の子の想いを、讃えていた。

そこには、地元の方々が、たくさん集まっていた。
若者の姿は、あまり見られなかった。
たくさんのお年寄りと、小さな子供たち。
そういう土地柄、もしくは現実を、垣間見た気がした。
でも、その空間は賑わっていた。
皆、カードに思い思いのメッセージを綴り、
お菓子や文房具をもらい、
餅がつかれ、
少年相撲に歓声があがり、
貴乃花親方や、奥さんの周りには、
嬉しそうな笑顔が集まっていた。
その賑わいが、本当にあったかく感じた。
このあたたかさが、
確かな現実とその未来へ、繋がって欲しい。
大切な気持ちが、
この日、この場所に、集まっていたんだと思う。

このとき感じた気持ちも、忘れないでおこう。



その賑わいの中で、
川嶋さんは、歌を贈った。
私は、人垣の後ろから、歌う川嶋さんの姿を、見つめていた。
何をどう歌ったかではなく、
川嶋さんが何を想い、何を伝えようとしているか、
真剣に、受け止めたかった。

川嶋さんは、
とても長い時間をかけて、
丁寧に、たくさんの言葉を、想いを、伝えていた。
一人一人に伝わるように、とても優しげに、話しをしていた。

その時の私には、
嬉しいとか、楽しいとかいう感情は、一切なかったと思う。
上手い表現が見つからないけれど、
泣き出したいような気持ちだった。
そこに満ちている優しさが、心を震わせていた。
やっぱり、上手く言えない。


「3月11日、この気仙沼も大きな津波に襲われて、」
「あゆみちゃんも、夢をあきらめようとしたとき、」
「家族の後押しがあって、上京することができました。」
「彼女は途上国にボランティアで学校を建てる活動をしていて、」
「彼女を見ていて、すごいなって思いました。」
「そんな彼女が、被災した故郷にクリスマスツリーを贈りたいと願って、」
「あゆみちゃんの想いが、この日に繋がっているんだと思います。」
もっともっとたくさんの言葉を、
もっともっと丁寧に、川嶋さんは伝えていた。
そして、川嶋さんは、クリスマスソングを贈った。


「次の歌は、ここで歌っていいかどうか迷ってたんですが、」
「ここに来てみて、やっぱり歌いたいなと思いました。」
川嶋さんは、父を亡くし、母を亡くし、
歌手になった自分の姿を見せられなかった、その想いを話した。
突然の悲しみを、周りの人の支えを、その感謝を伝えていた。
「私が大きな闇の中から立ち上がれたのは、」
「周りの人が全力で支えてくれたからです。」
「今度は私の番だと思って、子供たちに大きな愛を贈りたいと思ってます。」
もっともっとたくさんの言葉を、川嶋さんは伝えていた。
そして、川嶋さんは、母を想う大切な歌を歌った。


「宮城県の南三陸町に戸倉小学校という小学校があって、」
「震災の日、津波から逃れるために学校の裏の高台に避難して、」
「雪が降る中、震えながら一晩を過ごしたそうです。」
「そこで、卒業式に歌うはずだった歌を、歌い続けたそうです。」
「夏に、彼らの卒業式に行きました。」
「まだ小さな子供たちが、将来、人の役に立つ仕事をしたいと言っていました。」
川嶋さんは、
「生涯大切に歌っていきたい」と言って、卒業ソングを歌った。


川嶋さんが歌い終わるたびに、
あたたかい拍手に包まれていた。

ここに集まった人たちの、
どのくらいの人が、川嶋さんの事を知っていただろう。
でも、それは関係ない。
あのたくさんの拍手は、
確かにその想いが伝わったことを証明している。
聞いた事がないくらい、あたたかな拍手だった。
私は、感傷的過ぎるだろうか。
でも、本当に、何かが伝わっていたように感じたんだ。

ずっと、忘れないと思う。



そういえば、
上を向いて歩こう、の合唱の時は、
なんだか、気持ちが良かった。
爽快だった。
その楽しげな空間に、
私もいつしか馴染んでいたのかもしれない。
みんなの笑顔が、なんだか嬉しかった。



会場入口に、ツリーが、飾られていた。
物凄く大きなものではないかもしれないけれど、
手作りで、皆のメッセージが飾られ、
白い電飾は、この冷たい夜空に、清らかに光輝いていた。
かけ声と共に、その灯りが点された瞬間、大きな歓声が上がった。
みんなその瞬間を待っていた。
そういう喜びが、
ただただ、嬉しかった。

楽しかった時間。

たくさんの人たちの想いが集まり、
繋がり、創られた、このひとときから、
また何かが生まれてくれればいい。
楽しかった、と思い、また明日から頑張れるなら、嬉しい。
そうあって欲しいと思った。



もう辺りは夜が垂れ込めていた。
わずかにあたたかかった昼の陽も落ち、
本格的な寒さが、深々と感じられた。
吐く息が白かった。


賑やかだったイベントが終わる。

「お疲れさま〜っ、」の元気な声が重なる中、
誰かが不意に声を上げる。
「あっ、雪だ!」
みんな、一斉に夜空を見上げた。

歓声を上げるみんなのもとに、
白い雪が、ゆっくりと舞っていた。

「ああっ、本当っ! 雪だっ!!!」
重そうな青いツバサバッグを腕に下げた川嶋さんも、
本当に嬉しそうだった。

あの瞬間、みんな、晴れやかな気持ちだったと思う。




川嶋さん、貴乃花親方、力士の方々、そして
AWSのご一行が乗り込む二台の大型バスを見送り、
川嶋さんスタッフ機材車に別れを告げ、
私たちは一路、一ノ関へ。

あのとき見た雪は、ほんと綺麗だったなあ。

真っ白で、
柔らかくて、
清らかで、
今日という日を、優しく祝福してくれてるみたいだった。

素敵だったな。







ご一緒させて頂いたみなさん、
本当にどうもありがとうございました。
私は、2011年12月24日の全部を、
ずっと忘れません。

川嶋さん、
本当にありがとう。
その優しさを、ずっと忘れないから。


ありがとう。

(2012.08.22掲載)