2011年3月19日 西日本チャリティライブ
@ロックシティ防府 1Fイーストコート(山口)

・演奏曲目

大丈夫だよ
旅立ちの日に・・・
カケラ

・レポートその1(ひいらぎさん)

川嶋さんは、そのままの川嶋さんだった。
そんな気がした。
それは、
私が初めて出会う、本当の川嶋さんだったのかもしれない。





2011年3月11日、夜、
いつもと変わらず、仕事を終え、終電に走る私、
会社を出た私の目に入ってきたのは、
いつもとはどこか異なる、夜の気配だった。
そんな時間、普段いないはずの人が溢れ、
行き交う車のヘッドライトが光り、
なぜか誰かがマイクロフォンで叫んでいた。

家路に着き、着けたテレビに映し出されたのは、
どのチャンネルも同じ、これまで見たことのない映像だった。
何か、不吉で、とても大きな事が、起こっていた。


違う時間が、時を刻み始めていた。


”私自身何をすべきなのか、何ができるのか、
早急に考えていきたいと思ってます。”
とコメントした川嶋さんは、
その数日後、びっくりする言葉を伝えた。

”西のどこかの道端で、歌う事から始めようと思います。”


その翌日、川嶋さんは、路上で歌っていた。


それは、私には、とても衝撃的な知らせだった。
何かおさまらない鼓動が、ずっと鳴り続けていた。


私は、西へ向かった。
川嶋さんは、こうも綴っていた。
”遠方の方は、ごめんなさい。”
私は、その言葉を考えていた。
でも、迷いはなかった。
その感じは、上手く表現できないけれど。





小野田サンパーク

最初、
川嶋さんの表情は、
必ずしも私に穏やかな印象は与えなかった。
もう何週間も続いている風邪のせいかもしれないし、
普段から川嶋さんが纏う真剣さからくるのかもしれない。

川嶋さんは、衣装に着替える事もなく、
来たそのままの姿で、歌い、伝え、皆に接していた。
そういう雰囲気からも、
この五日間への意義の違いを、想わずにはいられなかった。

「テレビでは目を覆いたくなるような映像が流れていて、」
「一人でも多く助かって欲しいと祈っていたんですが、」
「祈るだけじゃなくて、」
「祈る先の行動をしたいと考えてました。」
「私は、歌うことから始めようと思いました。」

コードだけ書かれた手書きの譜面、
在り合わせの、必ずしも十分でない機材、
音は割れ、
時に音が途切れ、
「大丈夫だよ」では音が出ず、初めから歌い直す場面すらあった。
そんな中でも、
川嶋さんの、伝えようという懸命な姿は、
集まった人たちの心を間違いなく捉えていた。
川嶋さんの一つ一つに、あたたかい拍手が応えていた。

「これからも、自分に出来る限りのことを、」
「精一杯やっていきたいと思っています。」

ステージ前に、階段に、二階に、
集まっていたほとんどすべての人たちによって、
長い長い募金の列が作られた。

募金とCDの売上は、すべて災害支援に使われる。
並べられた様々なCDが、様々な人たちに求められていた。

今聴いた「大丈夫だよ」が欲しいと、そこにないCDを求める母親もいた。
想いは、届いている。

たくさんの無邪気な子供たちに接する度に、
川嶋さんに目一杯の笑顔が広がっていた。
少し、ほっとした。
本当に嬉しそうだった。
初めて見る、柔和で優しげな笑顔だった。



サンパークの外は、まだ昼の明るさに満ちていた。
私たちは小野田を離れ、防府へ向かう。




ロックシティ防府

ロックシティ防府に到着したが、
川嶋さんの路上ライブを知らせる掲示はどこにもなかった。
中央のステージでは別のイベントが執り行われており、
私たちは、別の場所を探した。

東の入り口付近、エスカレーター前に、椅子が並べられている。
多分、ここだろう。
ただ、まだ状況がよくわからなかった。

やがて川嶋さんが到着し、
椅子や、譜面台を、黙々と準備し始める。
あまりにも自然すぎる動作だったからだろうか、
しばらく、誰もそれに気付いていないようだった。


小野田の時もそうだったけれど、
川嶋さんは、
自分で準備をし、自分で片付け、帰っていく。
とても印象深い光景だった。

キーボードを、
譜面台を、
椅子を、
マイクを、
募金を募る、手書きの看板を。

自分でCDを並べ、
すべての人、一人一人に、川嶋さん自身が接していた。

機材を、CDを、
自分で片付け、荷物を運んでいた。

片付け終わり控え室に下がってからも、
遅れてCDを求めにきた母子に、
川嶋さんが戻ってきて、最後まで真摯に接する場面もあった。


そういったすべてが、
そのままの川嶋さんの姿として、
皆の目には映っていたんじゃないだろうか。
それは、川嶋さんが伝える気持ちの正直さにも、
繋がっていたと思う。


防府での歌いはじめ、
川嶋さんは言った。

「今日は、路上の感じなんで、」
「もっと前に来ていいですよ。」

もともと遠くなかった人垣が、
より川嶋さんの周りに凝縮された。
初めて感じる、心の距離だった。

「今回の地震や津波で、犠牲になった人や、今も避難している人や、」
「家や家族を失った人が、たくさんいると思います。」
「私は昔、路上ライブを続けていて、」
「その時、たくさんの愛をもらいました。」
「今、もう一度、それを集めて、被災地に届けたいと思ってます。」
「みなさんのあったかい愛を、少しでも分けてくれると嬉しいです。」

柔らかな日差しは、
川嶋さんの表情を優しく照らしていた。

川嶋さんは、ずっとずっと、柔らく穏やかな笑顔のままだった。





いつか時を経て、また、私はこの日の一つ一つを思い返すと思う。

大切な何かが、そこにあった気がして。

(2012.07.18掲載)