2008年11月15日 第3回 渋谷音楽祭
@渋谷C.C.Lemonホール(東京)

・演奏曲目

足跡
lover
My Love
カケラ

・レポート(ひいらぎさん)

わたしはこれまで、何度も何度も書いてきたことがあります。
わたしは「足跡」が好き。
わたしは「足跡」が聴きたい。

2007年夏、あの頃わたしは、間違いなくこの歌を求めてライブ会場へ向かっていました。
例えば神戸の埠頭で、名古屋港で。
夜空に響くこの歌声を、どんなに嬉しく聴いていたことだろう。

2007年8月20日、「足あと」と銘打たれたコンサートが行われる。
「足あと」というアルバムに収められた歌の多くが初披露となる日。
わたしは、これから始まるんだと思っていたんです。
これから、どんどん「足あと」の歌を歌う。
もちろん、「足跡」も。

でも、そうではなかった。
実は、この日が、始まりであり、同時に終わりでもある、
たった一日限りの日。



この日を境に、「足跡」は一切歌われなくなる。



なんでわたしがこの歌を好きなのかというと、
それは、この歌が、
川嶋さんが他者へ向けて発信するメッセージなのではなくて、
川嶋さん自身へ向けた想い、だからなんだと思います。

川嶋さんが誰かのために向ける愛ではなく、
わたしは、川嶋さんが川嶋さん自身へも、
その愛を向けて欲しいとも願っているからなんだと思います。
「足跡」からは、夢や希望は見えてこない。
孤独も絶望もこれまでの歩みをすべてひっくるめて肯定する、
良いとか悪いとかではなく、ただ肯定する、すべて受け入れる、その感じ。

常に前へ視線を向け、常に前に向かって走り続けてきた川嶋さんが、
2007年というこの時に、ふとその足を止めて、自分を振り返る。
川嶋さんが、ただ自分だけを想って綴る言葉。
”気持ちが逃げないように今ここでうたっている”
それは決して明るいトーンではないかもしれない。
”自分を認めてあげたい”
そこには切ない気持ちもあるかもしれない。
川嶋さんが自分を想う。
わたしは、それがとてつもなく好きなんだと思います。



「足跡」が、あの頃の気持ちを綴った歌だから、
それはあの頃にしか歌われないのかもしれない。
日が経てば経つほど、その気持ちは強くなる。
もうこの歌は聴けないかもしれない。
もうこの歌が歌われるきっかけが、ない。
時間は、流れ続ける。
わたしはこの歌を求めたけれど、
でも本当はもう二度と聴けないんだろうと、思ってもいたんですね。
だからわたしは意識して、この歌を好きだと、伝え始めるのです。
わたしの気持ちだけは、残しておこうと。



わたしは、川嶋さんへ、わたしが好きな歌を伝えたことがあります。
「わたしは、足跡が、好きです。」
「わたしは、足跡が、また聴きたいです。」
川嶋さんの反応は大きかったように思います。
「へぇ〜、ああいう感じが好きなんですか。」
それは意外そうなトーンでもありました。
川嶋さんにとってこの歌は、どういう歌なんだろう?



もう二度と歌われないかもしれない歌。
でも、
予感はあった。
川嶋さんは今週リハーサルで、吉川忠英さんとセッションをしたと。
その事実は、「足跡」を想起させる。
わたしは少しだけ期待していました。
もちろんそれでも歌われないかもしれないけれど。



ステージに立つ川嶋さん。
今日、1曲目に歌う歌を、小さく告げる。
「足跡」。

この瞬間、わたしの隣に座る人は、わたしに合図を送る。
伝わりましたよ。
そう、
わたしはこの瞬間をずっと待っていたんです。
本当に、ずっと。
わたしは川嶋さんへ気持ちを伝えた。
それがきっかけではない。
わたしのために歌った歌でもない。
でも、
おそらくあのホールで、最もこの瞬間を嬉しく思っていたのは、
間違いなく、わたしだったように思います。


わたしは本当に「足跡」が好きなんだなあ。
昨年ショートカットの可愛らしい川嶋さんがこの歌を歌い上げる姿を重ねながら、
今、目の前に立つ、髪の伸びた美しい川嶋さんを見つめる。



もう、このまま世界が終わってしまえばいいのに。



叶わないはずの願いが叶ってしまったとき、
人は、ふるえてしまうものですね。
本当に嬉しかったなあ。


川嶋さん、ありがとう。
わたしはもっと強く生きていけそうです。
ありがとう。
本当に、ありがとう。
わたしは、しあわせです。
(2008.12.24掲載)