2005年10月10日 『10万人のスポーツデー〜夢フェスタ〜』
川嶋あいSPECIAL LIVE〜しあわせ運べるように〜
@神戸ウイングスタジアム特設ステージ(兵庫)

・演奏曲目

絶望と希望
僕たちは...
525ページ
もっと!
飛べない鳥
そこから始めよう
ガラスの心
12個の季節〜4度目の春〜
「…ありがとう...」
10 幸せ運べるように

・レポートその2(かまやんさん)

またも神戸でライブがある!
今年3回目の神戸でのライブ。勿論参加することにした。
今回は2002年に行われた
「日韓共催FIFAワールドカップ」の会場となった
神戸ウイングスタジアムで行われる
「スポーツライフシンポジウム2005」のイベントで、
あいちゃんのライブがある。
また神戸でライブがあるということで、すごく楽しみにしていた。

1月の神戸長田ライブと同様、整理券を配布するとの事なので、
早めに現地に到着する必要があるかもしれないと思っていたが、
朝日新聞のHPで、特設ステージ前の聴講席500名募集のフォームが出ていたので、
早速応募した。
後日、当選のメールが届いた。準備万端だ。

前日と当日の2連休だったので、
前日から兵庫の実家に帰省していて、朝6時に起床。
前日から泊まりに来ていた良樹さんと共に朝8時過ぎに車で出発。
最寄の第二神明道路明石西インターから高速に乗り、
会場から近い阪神高速湊川インターで降りる。
休日の割には道路もかなり空いていて、
ウイングスタジアムに9時前に着いてしまった。
「さすがにこんなに早いと誰も来てへんやろなぁ〜」
とか助手席の良樹さんと話をしていた。

神戸ウイングスタジアムは神戸ハーバーランド近くに位置し、
川崎重工や三菱造船の工場、神戸卸売市場が近隣にある。
今日来られる深雪さんはもうすぐ三宮(阪急)に着くとの事なので、
三宮駅に車で迎えに行くことにした。
三宮駅で深雪さんと合流し、3人で会場へ向かう。

10時頃に到着し、駐車場に車を停め入り口へ。
ジラルデリさん、白い街さん、にしさんが既に来ていた。
何と今日はあさちゃん(あさこさん)が福岡からはるばる神戸まで来てくれる。
彼女にとって初めての遠征。たった一人で来てくれるのだ。
現在新幹線で広島を過ぎたとの事。
僕は良樹さんと深雪さんに、
「新神戸駅まであさちゃんを迎えに行こう!」
僕は3月16日の福岡天神での公開ラジオのとき、
あさちゃんに道案内してもらった恩もあったので、
当初から送り迎えしてあげようと思っていた。
3人で車で新神戸駅に向かった。
ウイングスタジアムから新神戸駅まで15分。
あさちゃんと無事合流して4人で車で会場に戻る。
その道中、車のフロントガラスに雨粒が・・・。
朝から曇りだったので嫌な予感はしていたのだが・・・(汗)

会場に戻ってまだ開場まで時間があるので、
売店でそば飯とフランクフルトとかを買って腹ごしらえ。
カレーを買った良樹さん、「レトルトだった」とぼやいていましたが(笑)。
外の広場では、熱気球を浮かべていたり色んなイベントが行われていた。

12時になり受付が開始される。
まだそんなに大勢並んでいない。
僕の整理券番号は10番だ。整理券番号順に並んで中へ入る。
ステージはグラウンド上にマットが敷いていて、
我々はスタンドから観る形式。
今回は上から見下ろすといった格好だ。
さすがにサッカーの競技場なだけあって広い。
屋根は現時点では閉じている。
神戸ウイングスタジアムは福岡ドームと同じような屋根が開閉する全天候型競技場だ。
これでオープンだったら言うことなしなのだが。
既にキーボードやアンプなどはセッティングは完了している模様。

あいちゃんリハで登場する。
今回はギターにながじぃ、キーボードにKOUHEIさんのアコースティック形式だ。
前回参加した岡山のときもアコースティックで、
岡山ではながじぃとあいちゃんだった。
「絶望と希望」、
「僕たちは...」、
「飛べない鳥」、
などを軽く音合わせをする。

リハが終了してあいちゃんの出番までまだ時間があるので、
一度席を離れて外へ出る。
すると外は土砂降りの雨。
外の熱気球などの催しも既に撤去している。
やっぱりあいちゃんは雨女なのか・・・。
いや、違う!あいちゃんは雨女なんかではない!
僕はそう思っている。
売店の前あたりで仲間たちと雑談して時間を潰す。

14時30分頃、再び席に戻る。
ディスカッションの
「地域が舞台!スポーツクラブが社会を変える」
そのバネリストに陸上の為末 大さんも参加していた。
シンポジウムが終了して、
兵庫商業高校の獅子舞の「龍獄團」。
獅子舞が客席に乱入してきたりでかなりの迫力だ!

17時を過ぎていよいよあいちゃんの出番だ。

1、【絶望と希望】

僕は勤務先が業務拡大に伴って以前から転勤の話が出ていて悩んでる時期があった。
今の会社を辞めて地元に残るか転勤するかの選択を強いられた。
今は不景気で就職難、折角握ることの出来たトレーラーのハンドル
転勤先での右も左もわからない土地での生活。不安ばかりだった・・・。
でも、この曲を聴いてると「頑張ろう」って思った。
自分に誇りを持とうって思った。そして転勤を決意した。
自分の可能性を試してみようって思った。

2、【僕たちは...】

「みなさんこんにちは〜!川嶋あいです」
「久しぶりに神戸にやってきました」
「みなさん元気ですか〜??」
「なんか微妙なリアクションですね〜」
「今日は神戸のイベントで震災から10年が経ち、
 その大切な場で歌わせていただき本当に嬉しく思います」
「心を込めて歌いますので、どうか最後までよろしくお願いします」

3、【525ページ】
4、【もっと!】
5、【飛べない鳥】

「さあ今日は外が土砂降りですけど、みなさん大丈夫でしたか??」
「なんか不思議なステージですね」
「このウイングスタジアムは初めてワールドカップがあったところなんですよね」
「かなり広いですね!」
「これだけ広いと私たちはポツンですよね」
「神戸に来るのは5回目ぐらいで、」
「地元福岡によく似ていますよね」
「新神戸の駅なんか特によく似ていますね」

僕的には福岡って大阪に似てると思うけど・・・(笑)
3月に福岡へ行ったとき思ったのだが、
特に心斎橋のアメ村が天神によく似てると思う(爆)
あと、1月の神戸長田でもあいちゃん言っていたが、
大好きな街ランキングベスト5、
神戸は大好きな街ベスト5に入ってるそうだ。
どうやら神戸は1位ではないらしい。(残念!(笑))

そして、「路上集1号」のアルバムを出していて、
1000回目指して歌い続けた曲をレコーディングした曲、

6、【そこから始めよう】
7、【ガラスの心】

ここから弾き語りに入る。
路上1000回目指していたころ、
ずっとこのスタイルでやってきたこと、
学生時代を思い出して聴いてほしいと話してくれた。

8、【12個の季節〜4度目の春〜】

再びあいちゃん前に出る。
「それでは私の大切な曲を聴いてほしいと思います」
「私には両親がいません」
「父は10歳で、母は16歳のときに亡くなりました。」
「私と両親は血のつながりがありません。」
「4歳まで施設で育ったのです。」
「両親と出会ったのは本当に奇跡だと思っています。」
「父が亡くなって私が夢見た歌手になること、
 その夢に母はすべてを注いでくれました。」
「でも、母は歌手になった姿を見ることなくこの世を去りました。」
「神戸の震災で家族を亡くされた方は沢山いると思います。」
「一緒に前を向こう・・・」
「一番最後には希望を持ってほしい・・・」
「両親にありがとう・・・」

9、【ありがとう...】

あいちゃんのこの曲に込めた想い、
本当に痛いというほどわかる。
僕も2年前、父を亡くしたからだ。
2年前の2003年8月に突然の末期がんの宣告。
それからわずか3ヶ月後の2003年11月、
父は50歳という若さでこの世を去ってしまった・・・。
この曲の詩ひとつひとつ心に突き刺さる。
あいちゃん自身の想い、そして僕の想い。
物凄く共感する。
「もう一度だけ戻ってきてよ・・・会いたい」
僕も何度もそう願ったことがあった。
だけどもう父は戻ってこない・・・。
そして今まで育ててくれた想い・・・。
そんなことを思い浮かべながら曲を聴いていた。
そしてあいちゃんがこの曲に込めた意味・・・。
いつの間にか僕の目から大粒の涙が溢れていた・・・。
物凄くこみ上げてきて涙が止まらなかった・・・。
今こうしてあいちゃんのファンになって本当に良かった。
あいちゃん自身も沢山辛いことあっただろうに
彼女はそれでも前を向いて一生懸命頑張っているんだ。
だから僕も一緒に前を向こうと思う。
希望を持っていこう。そう思った。

「次が最後の曲になりました。」
「この歌の中で傷ついた神戸を取り戻そう。」
「今でも苦しみを抱えて生きている人は沢山いると思います。」
「そして明るく前を向いて行ってほしいです。」

10、【しあわせ運べるように】(作詞・作曲 臼井 真)

この曲は被災地神戸で生まれた曲で、小学校の先生が作詞・作曲した曲だ。
美しい街神戸を取り戻そう!
その曲をあいちゃんは今歌っている。
本当に心にジーンと来る。
今日参加して本当に良かった。
あいちゃん、本当に神戸で歌ってくれてありがとう!

18時、無事にライブ終了。
終了後は皆とハーバーランドで食事をして、解散。
あさちゃんとkusuさんを車で新神戸駅に送って、
良樹さんを自宅近くに送ってから家路に着いた。
今思うこと、本当にあいちゃんのファンになって
今の自分が居るんだと思う。
前を向いていこうって思う。
これからもずっとあいちゃんのファンでいたい!
(2005.10.30掲載)

・レポートその1(良樹さん)

10:00頃に神戸ウイングスタジアムに到着。
ウイングスタジアムの公式HPによると
神戸ウイングスタジアムはサッカーJリーグのチームである
「ヴィッセル神戸」のホームスタジアムとなる専用球技場。
日韓共催2002FIFAワールドカップに向け、2001年10月に第1次整備を完了、
ワールドカップ開催終了後は、可動屋根をもった全天候型スポーツスタジアムとして、
第2次整備をおこない、2003年4月にグランドオープンしたようです。
僕はサッカーの知識はあまり無いので(汗)、
詳しいこと、また間違っていたらサッカーファンの方々にお任せします(爆)。

今回は「10万人のスポーツデー〜地域のスポーツクラブ夢フェスタ〜」
としてのイベントです。
13:30〜16:30に総合型地域スポーツクラブの
魅力を伝えるシンポジウムも開催されました。
その時のパネリストに400mハードルの陸上選手・為末大選手も出演していました。

なお、スタジアムの外では、
誰もが気軽に親しめるスポーツ広場が開催されていました。
僕も参加して遊んでみたかったのですが、
あいちゃんが来ていたから…とは信じたくないですが(笑)
雨が降ってしまい中断…少し残念でした。

またフリーマーケットによる軽食コーナーも行っていましたが、
ここでネタを一つ(意味深爆)。
昼食ではカレーや焼きそば、そば飯などがありましたが、
僕は迷いに迷った挙句カレーを注文しました。
しかし、屋台の中の調理場を覗いてみると…
大きなカレー鍋から出てきたものは、なんと某レトルトカレーではないか(爆)!
「そばめしにすれば良かった(涙)」とかなり後悔しながら、カレーを食しました。
某レトルトカレーで500円も払うなんて…(笑)

さて、そろそろあいちゃんライブの話へ…
会場はサッカー場なので、ステージは当然芝生の中に白い敷物が敷かれた形。
そして観客は観客席から見ることになります。
なかなか絵になるステージです。
これで天井も開放されていれば言うことなしでした
(神戸ウイングスタジアムの屋根は可動式)。

12:40にリハで登場。
今回はながじぃのギター&KOUHEIさんのキーボードによるアコースティック形式。
『絶望と希望』
『飛べない鳥』
『12個の季節〜4度目の春〜』
の一部を披露リハしました。

そしてシンポジウムがあった後、
17:05頃にあいちゃん・ながじぃ・KOUHEIさんが登場しました。
あいちゃんの衣装は赤紫のワンピースに
クリーム色のレース調のカーディガン、靴はサンダルです。

MC無しで
『絶望と希望』で始まりました。
なお、特筆するもの以外は、すべてアコーステック形式です。
私的なことで恐縮ですが、僕は今年就職活動を行ってきて、
その時はこの曲に何かとお世話になりました。辛かった時期もありましたが、
その時はこの曲を聴いて、あいちゃんに何度も助けられました。
そのかいあってか、先日に就職も無事に決まりました。
あいちゃんに感謝することは多々ありましたし、
「あいちゃん、ありがとう…」と思いながら、この曲を聴いていました。

続いて『僕たちは…』

「みなさん、こんにちは。川嶋あいです。」
「久しぶりに、神戸に来ました。」
「みんな、元気ですか〜?」
(やや反応薄い…)
「なんか微妙ですねぇ(笑)。」
「今日は震災から10年経ってからの最後のイベントです。」
「大切なイベントに参加できて、本当に嬉しいです。」
「ありがとうございます。」
「1月にも神戸の震災イベントで歌いましたが、
 あのころを思い出して歌っていきたいと思います。」
「しっとりした曲ばかりなのも何なので、次は明るく元気にいきたいと思います。」

『525ページ』
『もっと!』
『飛べない鳥』
3曲連続で歌いました。
この後、あいちゃんはレースのカーディガンを脱ぎます。

「さぁ、今日はちょっと外は雨でしたけど、大丈夫ですか?」
(またもや反応薄い…(笑)なにしろステージの芝生と観客席は高さのあって、
 やや遠いですからね。)
「微妙ですねぇ(笑)。」
「すごい不思議なステージですね。」
(サッカー場ですからね 爆)
「私も神戸ウイングスタジアムでやるのは初めてですけど。」
「あそこ(上の観客席)に遠くから座っている人もいますけど」
「遠くの人も前に来てください。」
「それとも、前の客と後ろの客は仲が悪いのかな(笑)?」
「そんなこと無いですね(笑)。」
「初めてやってきました。」
「ワールドカップもやったみたいで、すごいですね!」
「私達はステージに居ますけど、観客席から見たら、
 私達こんなにポツンですね(笑)。」

「神戸には何度も行っているのですが」
「発見しましたけど、地元福岡と少し似ていますね。」
「町並みとかが…あと、新神戸駅内がよく似ていました。」
(町並みは確かに似ているかもしれませんが、
 新幹線の新神戸駅と博多駅は全然違います 笑。 まぁ良いっか♪)
「神戸は好きな町ベスト5に入ります。」
「さんざん言っておいて、「ベスト1じゃないんだぁ」…と思われますが。」
「まぁ、今のは忘れてください(笑)。」
「路上集のアルバムを出していますが、路上ライブを1000回やってきて、
 路上ライブで歌った曲を再レコーディングしました。」
「2曲続けて聴いてください。」

『そこから始めよう』
『ガラスの心』
を歌いました。

続いてあいちゃんはキーボードに座って弾き語りへ…
「私が路上ライブ1000回やってきて、ずっと歌ってきたスタイルです。」
「この曲も路上ライブをやっていた時から、ずっと歌ってきました。」
「皆さんの学校生活を重ね合わせて聴いてください。」

弾き語りで『12個の季節〜4度目の春〜』を歌いました。

再びあいちゃん、立ちます。
「それではここで、私の大切な話をしたいと思います。」
「ご存知の方も多いかもしれませんが、私には両親が居ません。」
「父は10歳、母は16歳の時に亡くしました。」
「今の父と母が居なければ、今の私は無かったと思います。」
「それは何故かと言うと、私の父と母は血のつながりが無いからです。」
「私は小さい頃、施設で孤独の中を引き取って貰いました。」
「それが父と母でした。」
「引き取って貰ったことは、最大の奇跡です。」
「父が亡くなった後、私の夢である「歌手になること」…
 母はその私の夢にすべてをかけてきました。」
「歌手になる姿を母は誰よりも楽しみにしてきました。」
「だけど、母は私が歌手になる姿を見ることなく、この世を去りました。」

「震災で大切な人を亡くされた方々も沢山居ると思います。」
「私が伝えようとしているのは…」
「一緒に前を向こう。」
「がんばろう。」
「…これしか思いつきません。」
「これから何があっても、勇気を持って生きて欲しい。」
「私を育ててくれた両親に「…ありがとう...」の気持ちでいっぱいです。」
「それを歌にしました。」
「聴いてください…ありがとう...」

『「…ありがとう...」』を歌いました。かなりグッ…と来るものがあります。

「最後の曲になりました。」
「神戸の復興の時に作られた曲です。」
「一番大好きなフレーズがあります。」
「『傷ついた神戸を 元の姿に戻そう』」
「沢山の方々が亡くなられ、今も沢山の方々が苦しめられていると思います。」
「神戸の町が明るく元気になりますように…」

そしてカラオケ伴奏で、震災当時に神戸の復興を願って作られた歌
『しあわせ運べるように』(作詩・作曲 臼井 真)をあいちゃんは歌い上げました。
歌詞の一字一字が僕の心に突き刺さっていきます。
そしてあいちゃんはスタジアム内の観客に囲まれながら、
芝生上で堂々と歌い上げています。
いつの間にかメモ帳に僕の涙が零れ落ちていました…
本当に心に響きました。

そして18:00頃、約1時間のライブは終わりました。
今日のライブは本当に参加して良かった。
僕が今まで行ったあいちゃんのライブの中でも、
ベスト3に入るほどのライブでした。
あいちゃん、本当に素晴らしいアーティストだよ。
ありがとう。

この後は参加された皆さんと神戸ハーバーランドへ移動して、
ハンバーガーショップで食事をして楽しみました。
(2005.10.16掲載)