2005年1月16日 メモリアルフリーライブ
@西神戸センター街(兵庫)

・演奏曲目

どんなときも
525ページ
マーメイド
「さよなら」「ありがとう」〜たった一つの場所〜
天使たちのメロディー(1stMaxiバージョン)
12個の季節〜4度目の春〜
しあわせ運べるように

・レポートその2(かまやんさん)

昨年12月25日のクリコンの感動の余韻が残る中、
今年の初ライブは何と僕の地元、兵庫県でやる!
今回は震災復興10年という節目で、そのイベントにあいちゃんが来てくれる。
僕は兵庫県民として、川嶋あいのファンとしてどうしても参加したかった。
しかも行きやすい日曜日。迷わず行くことにした。

10年前の震災当時、僕は高校一年生だった。
あれは忘れもしない1995年1月17日午前5時46分。
いつものように寝ていたら突然「ドーン」という大きな音とともに横に揺れだした。
布団の中に入ってたが急に揺れだしたので飛び起きた。
「地震や!でかいで!」
揺れ方が尋常ではなかった。
今までこんな大きな地震など経験したことないからなおさらだ。
揺れが収まって幸い自分の家は外壁にヒビが入った程度で済んだ。
この時点ではまだ大惨事になっているということを知る由もなかった…。
学校へ行こうと駅に向かうと影響で全線不通になっていて仕方なく家へ戻り、
テレビをつけると信じられない光景が映し出されていた。
神戸の街が見るも無残な姿になっていたのだ。
阪神高速の高架が横倒しになっていて、崩れた建物…。
信じられない…、いや信じたくなかった。

あれから10年…。
今でこそ神戸の街は復興して美しい街並みを取り戻しつつあるが、
今なお心に傷を負っている被災者の方々のことを考えると胸が痛む。
もう、あんな地震を体験したくない…。

公式HPのライブインフォメーションで
日時と場所がアップされてすぐに勤務先に休日の申告をした。
OKをもらい準備万端で当日を待つ。
ただ、当日のライブは整理券が配布されるとの事である。
先着500名ということで早めに現地入りする必要がありそうだ。

「整理券もらえるかな??」

ライブの3日ほど前にネット抽選で
何と整理券が当たるというのをやっているとの事で即、応募した。
その次の日、当選のメールが来て整理券をゲットすることが出来た。
前日はまたも夜勤で19時出勤で翌朝(当日)3時に仕事が終了。
何故か過去に行ったあいちゃんのライブ全て前日は夜勤…(爆)
風呂に入って寝床に着く。
自宅から会場が近いため十分に睡眠時間が取れた。

朝10時に起床して用意をし、11時過ぎの電車に乗る。
電車の車中でCショックさん、良樹さんから連絡をもらう。
Cショックさんは大阪、良樹さんはもうすぐ着くようだ。
最寄り駅の新長田駅に到着し、良樹さんと合流。共に会場へ向かう。
会場となる「西神戸センター街」は
阪神高速3号神戸線の南側に位置するアーケード街だ。
長田区も長いこと来てなかって、街並みは随分変っていた。
駅から会場へ向かう途中そう思った。

会場に到着して、良樹さんのファン仲間の方々と合流する。
そして、商店街の中の店で整理券を引き換えてもらう。
僕の整理券の番号は511番だった。
僕は整理券のペアの相手がまだ決まってなかったため、
良樹さんのファン仲間の方にもう一枚の券を譲る。
アーケード街では、着々と本番に向けての準備が進んでいる。
天井には
「路上の天使 震災10年神戸長田からのメッセージ
 川嶋あいメモリアルフリーライブ」
と書かれた横断幕が、
ステージの背景の絵は神戸のメリケンパークの「ポートタワー」、
天使の姿、あと電飾が施されていて綺麗だ。
会場の前にもあいちゃんの絵が描かれたポスターなどが飾ってあった。

無事に整理券をゲットし、
開演までまだ時間があるので新長田駅周辺でプラプラして時間を潰す。
新長田駅でkusuさん、hiroさん、Cショックさん達と会う。
しかしこの日の神戸は寒い。日中にも関わらず風があり冷え込む。
僕達は数人の方々と新長田駅前のミスタードーナッツでお茶をして開演時間を待つ。
その最中、何とあいちゃんが会場周辺で路上ライブをやっているという情報が入った。
僕達は早足で新長田駅や南側の地下鉄の駅周辺を見に行ったが、
どうやらデマのようだった。

15時に会場入りし、本番を待つ。
この時kazu_2さん、たよさん達と合流する。
16時過ぎにようやく整理券の番号順に整列を始める。
まず地元の小学生たち、長田区の住民の方々、そして僕達。
僕は何と500番台トップで並ぶことが出来た。
隣は僕が渡したペアの方。その反対隣の人は地元の招待客
3列ほど後ろに良樹さん、ゆきさん。
少し左側にCショックさんがいる。
会場は凄い人でごった返している。
500人限定のはずがその倍はいたのではないか。
僕の座っている場所は左側から横風が来てとても寒い…。

16時45分頃にあいちゃんが登場してリハが始まる。
「どんなときも」、「天メロ」のそれぞれの音合わせ、
セッチィングとかをしている。
リハ終了してあいちゃん
「もう少し待ってくださいね」と言ってステージを降りる。

17時を過ぎて主催者の方の挨拶、地元の小学生の合唱。
17時46分に1分間の黙祷をする。
そして地元小学生達が
「99%の絶望と1%の希望、希望と勇気を届けるため、今、川嶋あいが歌う…」
と書かれている横長のボードをステージ上に揚げていよいよあいちゃんの登場だ。

1曲目【どんなときも】
この曲は僕のお気に入りの曲のひとつだ。
この曲を聴いていると「頑張るぞ!」って気になれる!
「どんなときも あきらめずに 前を向いて歩いていこう…」詩に共感される。

MCであいちゃんが震災10年の節目で呼んでくれての感謝の気持ちとか、話してくれた。
あいちゃんの「みなさん元気ですか〜!?」で、
思わず僕も「オー!!」って叫んでいた。

2曲目【525ページ】

既に暗くなってきて寒さが増してきた。
野外ということで着込んできたが、やっぱり寒い。
カイロとか持ってくれば良かった…。

3曲目【マーメイド】

あいちゃんが、神戸は好きな町ベスト5に入っていると言う。
昨年の大阪大学の学園祭ライブのときも神戸、大阪は好きだと言ってくれた。
神戸は5位だという。
果たして1位はどこなんだろう?(笑)
そしてあいちゃん、47都道府県ライブを達成したことなどを話した。

ここから弾き語りに入る。
いつものローランドのキーボードの前には
「18歳 川嶋あい 神戸長田からのメッセージ」
とボードに大きく書かれている。

4曲目【「さよなら」「ありがとう」〜たった一つの場所〜】
去年11月に続いて弾き語りでこの曲を聴くのは2回目だ。
僕にとっては本当に嬉しいことだ。
本当にこの曲を聴いてると、今でも泣きそうになる。
大阪大学のときもそうだったが、一昨年11月に亡くなった父のこと…
そして震災で亡くなられた方々の想いが交錯して、
込み上げてきて、堪えきれず涙が溢れてきた…。
特に「海に落ちてゆく粉雪たちよ せつないね悲しすぎるから…」
という詩の部分など、心にジーンとくる。
神戸で、弾き語りで聴けたことが本当に良かった。
そして、自分自身頑張ることがあいちゃんの応援になるのではないかと思う。

あいちゃんMCで路上1000回に向けてやっていること、あと37回だそうだ。
もう一つでの活動(I WiSH)は1位を取ったこと…、
路上ライブをやる意味はもうないのかもしれない…、
だけどこれは自分に課したものだったということ…、
絶望と暗闇から抜け出す唯一の方法だったとういことを話してくれた。

5曲目【天使たちのメロディー】

あいちゃんが震災の年は8歳の時だ。
「私が8歳の時に見た光景ははっきり残っています」
「形は元に戻るけど心の中の傷は消えないと思います」
あと、年末のスマトラ沖の大地震や世界中の戦争のことなど話してくれた。

6曲目【12個の季節〜4度目の春〜】
僕はこの曲の詩にすごく共感する。
学生で卒業するわけではないのだが、
今から3年前、失業して会社員から今の運送業に転職した。
初めは2トントラックから乗り始めてがむしゃらに頑張ってきた。
そして、10トン、今は大型トレーラーを運転している。
今本当にこの曲を聴きながら思う。
頑張ってきて良かった…。諦めないで良かった…。
今の会社に入って3年が経とうとしている。
初めてあいちゃんの歌を聴いたのはトラックを運転中にラジオを聴いてだった。
あいちゃんと同じように僕も12個の季節が過ぎたのだ。
彼女に、彼女の歌に出会えて良かった。そんな気持ちだ。

最後の曲は震災後に10年間歌い続けれれている曲で、
「しあわせ運べるように」という曲。
作詞・作曲は神戸の小学校の先生だそうだ。
地元の小学生達がステージに30人くらい続々と上がって埋めつくされた。
あいちゃんが
「あっしはどこで歌えばいいんですかね…??」
と、言いながら戸惑っている…。
あいちゃんはとりあえずステージ中央に…。

最後は【しあわせ運べるように】(作詞・作曲 臼井真)
学校の先生の伴奏で始まったが、マイクを持っているのはあいちゃんだけで、
子供達のマイクはない状態で、あいちゃんのソロになってしまった。
歌詞を間違えたりちょっと苦戦状態のあいちゃんであったが、
アーケード街にあいちゃんの
「しあわせ運べるように」の歌声が響き渡った。

歌い終わってステージを降りていく子供達を見送って、
最後の小学生の子が大きな花束をあいちゃんに渡す。
しかし、大きすぎて持ちきれない。
商店街のスタッフの人がが一束持ってくれた。
最後にあいちゃんが客席に向かって挨拶をしてステージを後にした。

19時前に無事ライブは終了。
本当に寒かったけど、一生に残るようないいライブだった。
これからもあいちゃんのことを応援していきたいと思う。

あいちゃん、神戸に来てくれてありがとう…
(2005.02.26掲載)

・レポートその1(kazu_2さん)

震災10年の神戸でのイベントということで、
1日ではもったいないので15日から神戸入りした。
前回の12月に行われた神戸VARITの前にも、
震災の復興のシンボル長田の町を歩いてきたが、
今回は前回行かれなかった淡路島にある<野島断層保存館>に行って来た。
ここは阪神淡路大震災のときに実際に動いた断層が地上に顔を出している所で、
その断層を屋内に保存しているのだ。

保存されていた実際の断層をみたとき、震災の朝、夜が明けてこんなものを
目の当たりにした人たちの驚きはどんなだったのだったのだろうと憂いた。
巨大な地層(断層)がねじり曲がって地上に露出している様は地獄の沙汰だ。
この地の実際の震度7の揺れを体感できるシュミレータにも乗ってきたが、
こんなのが東京を襲ったら、大変なことになるな…と思った。

行きはバスを乗り継いでたどり着いたが、帰りはちょうど良い時間のバスがなく、
港まで歩き、明石港行きの船に乗った。
ちょうどこの頃あいちゃんが神戸入りしたらしく(推測)
急な大雨で海は大荒れになった。

翌日。
整理券はネット予約で当選していたので12時にジンさんと新長田で待ち合わせた。
11時半頃着くとすでにジンさんは来ていた。
一応、整理券配布所に行ってみると13時の配布開始まで時間があるにもかかわらず、
すでに50名ほど列を作っている。

係りの人にネットの抽選で当選したという旨を伝えると、
列に並ばなくとも商店街の中の某商店(お店の名前は忘れました)
に行くと整理券と引き替えてくれるという。
とっても寒かったので、
13時までお茶して引き替えに行くと整理番号は542番だった。
その後、13時まで列を並んで引き替えてきた方々に会い、
番号を聞くと、せいぜいまだ100番台だという。
列を並び直して若い番号をもらい直すか悩んだが、
少しでも多くの人に整理券が行き渡って欲しいと考え、やめておいた。
すると、あいちゃんが路上をやっているという情報が入ったので、
新長田の駅前などを歩いてみるがガセであることがわかった。

Centuryの5名ほどで昼食を取り、
15時なるのを待って震災アーケードまで行ってみる。
すでに100名ほどの人がいて雑然と並んでいる。
整列させる前に地元の漫才師やら数名がステージ上で何かやっているが、
いかんせん長方形の商店街なのでステージまでが遠く、
まばらにスピーカーがおかれているために、声が全く聞こえない。

前であいちゃんの姿を見ることはあきらめ、
商店街後方のスピーカーの前にベンチが置かれていたので、
そこを本拠地として開演を待つ。
16時30分頃からようやく整理番号順の整列が始まる。
対応が非常に遅い。
この時点ですでに商店街はごった返していた。

16時45分ころ整列中騒然としている、
そのさなかにおもむろにあいちゃんが現れ、
リハ(というよりサウンドチェック)を始める、
カラオケの「どんなときも」にあわせてワンフレーズ、
次はRoland RS-5で天メロらしき音と12個らしき音を出してから
天メロをちょっと歌って
「もう少し待っててくださいね」と言い残して去る。
この時点でネット予約した500番以降の人は最前列から
招待の小学生(合唱隊)や震災孤児の座席のすぐ後ろで見られることがわかる。
(全然アナウンスが聞こえていなかった)

なんと整理番号1番の人より前だ。なんという好待遇。
当初あきらめて後方から音だけ聴こうかと思った作戦を変更して、前に移動した。
陽があるうちは良かったが18時頃から急に冷えてくる。
防寒対策は充分に…という事前の話があったので、
Tシャツの上に長袖のTシャツを重ね着し、その上にトレーナ、
その上にグランドジャンバーを着ていたにもかかわらず、とにかく寒い。
商店街にはいつのまにか、近隣の住民から持ち寄られた
石油ストーブやら練炭などが配置されている。
さっきはカレーやうどんの炊き出しも行われており、
避難所生活に戻ったような風景だ。

17時頃から商店街会長など主催者の挨拶が始まる。
復興オリジナルソング「明日へ向かって」を地元の小学生が合唱する。
17時46分、震災で命をなくされた方々への1分間の黙祷がなされ、
ざわついていた商店街に一瞬静寂がもどる。

その後小学校低学年くらいの子供たちが、
「99%の絶望と1%の希望」
「希望と勇気を届けるため…」
などと書かれた2mくらいのプレートを映画の予告編のように
ステージ上手から下手へ見せては入れ替わっていく。
「そして、いま…」
「川嶋あい 歌う」
というプレートのあとであいちゃんが登場した。
(8月20日のコンサートみたいだ)

1.どんなときも【カラオケ】

 「みなさん元気ですか?もっと神戸中に響くような声でお願いします!」
 「明日震災10年を迎えるということで、
  こんな大事なときに呼んでいただいてありがとうございます」
 「最後までゆっくり聞いていってくださいね」
 
2.525ページ【カラオケ】 
3.マーメイド【カラオケ】
  
 「リハのあとに商店街の一番後ろに行ってみたんですけど
  ステージの上は全く見えませんねー」
 「私が見えたらOKって言ってください」
 (反応がない←はっきりいって後方からでは全然見えない)
 「そうですよね、ステージ上は豆粒みたいですもんね」
 「全員望遠鏡で見てください!全員は無理か…。」(ボケ突っ込み)

 「私は47都道府県を12月10日に回り終えました。
 「いろんなアーチストが地方へ行くと「ここは第二の故郷だ」
  みたいなことを良くいうんですが、私はそれが嫌いなんです」
 「でも神戸は大好きな町ベスト5に入っています」
 「でも、5位ですから…残念!」
 (確か神戸VARITでも5位だっていってたな。京都は3位だったかな。)

ここで沖縄で福原さんがいっていた、
最近のあいちゃんがお気に入り言葉がNever Give Upから
残念!に変わったという言葉が立証される。

 「ここからは弾き語りです。準備をしますのでちょっと待ってくださいね。」

いつものRoland RS-5の前に路上用のプラカードが。
しかしそこには
「18歳 川嶋あい 神戸長田からのメッセージ」と書かかれている。

4.「さよなら」「ありがとう」たったひとつの場所

商店街中にきれいな声が響きました。

 「路上1000回に向けてやってます。あと37回です。(おめでとう!の声)
 「もう一つの活動(I WISH)では1位を取りました。」
 「路上をやる意味はもうないのかもしれません。」
 「でも、これは自分に科したものだったのです。」
 「絶望と暗闇からの唯一の方法だったんです。」
 「神戸の方々が感じた絶望は私の感じた絶望に比べたら、
  比べ物にならないほどすごい大きなものだったんだと思います。」
 「最後の曲になります。」

5.天使たちのメロディー

今日のあいちゃんはとても声がよくでている。
正月ゆっくり休めたのかな。

 「世界では戦争や年末には大変な災害があったりしています」
 「私は歌うことだけでしか、力づけてあげたり何かしてあがられることは
  ないんですけれど、これからもずっと歌い続けていきます」

6.12個の季節 〜4度目の春〜

 「次は、これから神戸で10年間歌い継がれてきた曲を歌います。」
 「『しあわせ運べるように』です」

あいちゃんの紹介を合図に小学生たちがステージに30人ほどあがってくるが、
引率の先生はピアノの伴奏にさっさと回ってしまい、
 「みんなもっと前に来て」
 「準備はいい?」
 「私はどこで歌えばいいんですかね?」

…とあいちゃんがステージを仕切りながらもちょっと途方に暮れている。
誰か指示してあげてくれ…と思っているとピアノの伴奏が始まるが、
マイクを持っているのがあいちゃんだけだったので、
あいちゃんソロになってしまった。
子供たちの声を拾うマイクがない!

7.しあわせ運べるように
  作詩・作曲 臼井 真(当時 神戸市立吾妻小学校の音楽教師)

歌詞をちょっと間違えたり、子供用のキーだったので、ちょっと苦しそうだったり、
子供たちがちゃんと歌えているか時々振り返ったりしながら歌い終えました。
震災アーケードにあいちゃんの『しあわせ運べるように』が響きました。

歌い終わると「みんなご苦労様でした」
とステージを降りていく子供たちを見送っています。
最後の2人が大きな花束をあいちゃんに渡すが、両手で持ちきれない。
「どうしよう」とちょっと困っていると、
ようやく袖から商店街の人があがって来て一つもってあげている。
最後に「今日はどうもありがとうございました」という挨拶であいちゃん退場。

18時45分頃終了。
15時過ぎからずっとふきっさらしの商店街にいたので芯から冷えた。
でも、こころは充分にあたたまった素敵なイベントだった。
(2005.01.20掲載)